カテゴリ:備忘録( 16 )

食と記憶

このブログでは2回ご紹介している
ととら亭で数日前に食事会をしました。


こちらのお店は最近度々メディアでも
紹介されているので
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが
ご夫婦だけでやっている小さなお店です。

お店のご夫婦は1年に数回
様々な国へ旅をしては
その地で味わった美味しい食事を
再現し提供してくれる楽しく素敵なお店です。


私は、家族や友人と2、3人ぐらいで、
たま〜に行くことはありますが
このところはそう云えば行ってないなぁ
。。。という状態。

そんな風に常連とは云えないものの
とても親しみがあるお店です。
そこへ久しぶりに行って来ました。



実は今回は父の命日に合わせての食事会でした。


このお店に父はたった一度だけ行った事があります。
その一度というのは
2011年の師走に父の仕事であるお祝い事があり
そのお祝いの食事会を開いたのが、
このととら亭でした。

その時は、師走ということや
父も忙しい日々の中だったので
疲れないように楽に集まれる親族だけで
こちらのお店を貸切にしての会でした。

父にとって喜ばしいお祝いを
美味しい食事で
賑やかで楽しく過ごした場所だったので
「お父さんもきっといいね!と言って一緒に来るね」と
こちらで集う事にしたのです。


ただ今回の命日の集まりは小さく実家の母と妹と夫
そして実家の隣にある親戚一家での食事会。


前菜から主菜そしてデザートまで
どれをとっても目に美しく舌も喜ぶものばかり173.png

ここにその素敵な食事を
お見せできたらよかったのですが...
実は写真は人任せで食べる事に専念してしまい
私が撮ったのはこのデザートのみ105.png

写真は従姉妹からもらったので、あるにはあるけれど...
ここでは、この私が撮ったこの1枚をアップ169.png

こちらは
ほうじ茶のババロアです。
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なんて優しい口当たりなのかしら♡
....とうっとりしながら
珈琲と共にいただきました。


1皿来るごとに、その美味しさに
目を輝かせながらワイワイとしていて
”楽しそうだけど何の集まりなのかしら?”
きっと他のお客様は思っていたに違いない💦



2011年の12月の寒い夜

暖かな幸せな記憶を心に刻んだこのお店に

再び集うのだから

今回 も楽しく賑やかにいただくのが一番!

と元気に美味しく食事をして

みんなが笑顔でいる事で

父がそこにいるように

それぞれに感じていたように思います。



お店の方も、かつてのあの賑やかというか

ほがらなか食事会の記憶がくっきりあり

今日はお父様がいらっしゃると感じる

と言ってくださり、心がふわっ♡と暖かになる

幸せな時を過ごせました。



人は様々な記憶を重ねて行くけれど

楽しく幸せな食から蘇る記憶は優しく

再び暖かな幸福感を与えてくれるものだと

改めて思う日でした。





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by madoromi_time | 2017-10-04 12:33 | 備忘録 | Comments(2)

今朝ものすごクリアな夢を見た。
それは5年前2012年の秋に亡くなった父の夢だった。
父を知っている人にとってはクスリと笑える話だし
私自身覚えておきたい夢だから
ここに備忘録として残しておくことにした。

夢の始まりは、こうだった。

私はなぜか是枝裕和監督の撮影現場か
または仕事場で小道具作りか何か作業をしている。
休憩時間になりお弁当を買いに
最寄駅近くに向かうと駅の改札に母と、
亡くなった筈の父がいて父は私を見つけると
「オイ!100円貸してくれ、
足りなくて切符が買えないんだ」
といきなり声をかけてきた。
お札で買えば?と言うと
小銭しか受け付けないと言う。
仕方ないので現場に戻り両替を頼む事にした。

いつの間にか母はいなくて父と2人で
現場に向かって歩いていた。

父を向かいの鰻屋さんの角で待たせて中に入り、
誰かに両替を頼んでいると
いつの間にか隣に父がいる。
そしてナンダカンダで
是枝監督と父が話をする事になった。

この流れ…周りを巻き込んでいく姿はとても父らしく
「あ〜お父さんだわー」と私は笑っていた。
でも一方でお父さんは亡くなっているのに…と
思っていて不思議な気持ちで
2人が話している姿を見ていた。

100円を手にする事が必要だっただけの父なのに
いつもそうだった様に熱く仕事の話を
一気に監督に話したかと思うと、突如
「もう行かないと。サッ行くぞ」
と言い立ち上がった。
そして私が何故か持っていたファッション雑誌の
表紙に自分の名前を筆で一気に書き
「それじゃあ失礼」と帰って行った。

私は慌てて追いかけ父に
「100円はいいの?」と声をかけたけど
「いいんだ」と後ろ向きのまま手をあげて
スタスタと駅に向かい歩いて行ってしまった。

生前父と監督が直接顔を合わせた事はないと
思うけれど、接点がないわけではなかった事や
私が監督の作品が好きなので
こんな風な場面があったらいいな…と思っていたからこんな夢をみたのかもしれない。

来月の初めに父の命日がやってくる。
毎月、月命日にお墓まいりに行っているけれど
もう5年そして6年目になるのだなとなんとなく
最近よく思っていて、夢に父が出て来たのは
嬉しくもあり、でもちょっと淋しくなってくる。
なぜなら夢の中で私はいつも
お父さんは亡くなった筈なのにと思いながら
父と話しているからだ。何故なのだろう。
目覚めた時
夢で父と会えて嬉しいのに同時にいつも
父の死を知ってる自分が悲しくなる。

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写真は夢と関係なくて、ホテルオークラの最終日に撮った廊下の写真。
記憶を辿る迷路の入り口、廊下の様なので貼ってみました(*^^*)
174.png8日の朝になり、情報番組見ていたら
是枝監督の『三度目の殺人』を紹介していた✨
夢に監督が出てきたのはそうだ、
この新作観たいな〜と思っていたからだ
夢の中の物語の成り立ち方って面白い。






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by madoromi_time | 2017-09-07 22:37 | 備忘録 | Comments(4)

終戦日に思う事

今日Siesta-Siesta
終戦記念日の今日思う事を書きました。

それは、真っ直ぐな心を書き残された
『18歳 回天特攻隊員の遺書』を
小林麻耶さんがアップしていたので、
麻耶さんのblogをリプログさせて頂き
私も思う事を書きました。



写真は、
「お母さんご飯は?」と覗くMick
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そして遅れてやはりやって来たチャコ
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毎日、こんな風に私をガン見しご飯を待ちます。

「もう少し待ってね」と
こうしてblogを書いていられる平和な毎日に
感謝と祈りの8月15日です。

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by madoromi_time | 2017-08-15 17:52 | 備忘録 | Comments(2)

#18 ameba blog Siesta-Siesta から*8月15日 終戦の日

これはもう一つのblog Siesta-Siestaにアップした

記事を重複でアップしたものです。

同日にほうじ茶が好きにも違う形ではありますが、ブログをアップしています。


タイトル:”8月15日 終戦の日”
(2017.8.15)


この日のブログはアメブロの小林麻耶さん2017年8月15日のブログ
リプログしていたのですが
ここでは私の書き込みのみを貼り付けます。

ここ数年、終戦記念日や原爆の日のニュースは年々減り、
私も戦争を知らないけれど親世代と同じく危惧していた所、
平和が当たり前ではない事を教えてくれる 遺書を記載して
くださった小林麻耶さんのブログを私も備忘録として
残しておこうと思います。
1945年8月15日は多くの日本人が命を賭けた戦いに終止符を打った日。
当時の人々の実際の心の内はどうであれ、誰もが国が目指す先へと
傷つきながらひたすら歩いていた日々。
誰一人として立ち止まる事が許されなかったその一本道が
72年前の8月15日プツリと閉ざされた日、
人々はどう自分を支え立っていたのでしょう。
それまで信じてきたものがひっくり返ったあと、戦いが終わった喜びを
実感できた日は、それからどのくらいしてからなのだろうかと
思わずにはいられません。
愛する者を失った人々の心はどこにあったのだろうかと。
もし私が残された側の者だったら、
また逆に命を国に捧げた者だったらと考えると心が震えます。
今では当たり前に個人の自由がある日常を手にした日本、
そして私の毎日があります。
想像を絶する多くの犠牲の上にある平和に、
手を合わせ感謝と祈りの8月15日でなければと思い、
またなんとなくきな臭い空気ぐ漂う『今』も
しっかり覚えておこうと思う
2017年8月15日(火)は雨降りの東京です。



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by madoromi_time | 2017-08-15 16:43 | 備忘録 | Comments(0)

#12 ameba blog Siesta-Siesta から*時代

これはもう一つのblog Siesta-Siestaにアップした

記事を重複でアップしたものです。


タイトル:時代
(2017.7.13)


先ほど、録画しておいた数日分の

やすらぎの郷』をまとめて観たのだけれど...ダメあせる

話そのものが、グググッと胸に突き刺さってくる上に

中島みゆきさんの『時代』が流れて、

もうどうにもダメなのです。涙が止まらない😢

私にとってこの『時代』と『見上げてごらん夜の星を』

悲しみから一歩前に進むため歌いそして涙した曲です。

数年前に父を見送った後、母は父の闘病中からの疲れが

溜まっている事もあり、ある日母の体に赤信号が

点灯点滅してしまいました。

妹から「救急車で運ばれる」と突然連絡があり

よく肝を冷やすというけれど、この時ほんとに

体の奥が冷やっとしました。

私が母のところに向かうとそこは集中治療室あせる

私は体が硬直する思いで母のベッドに向かうと

力はないものの母は笑顔で「ごめんね」と

手を振り言葉を発したので胸を撫で下ろすことができ、

またすぐに一般病棟に移れた事もありホッとしたのでした。

けれど退院してから母は一応元気にして見せては

いるけれど、父がいない淋しさを口にしたり、

もう生きる気力がない様な事を言葉にしたり、

私たちが知っている笑顔が消えてしまっていました。

夫が亡くなったのだから悲しみがあるのは当然ですが、

当時そうした母の姿は私たち姉妹にとって

ものすごく大きなショックな出来事でした。

いつも明るく頼もしくしなやかな母の心から体から

悲しみが溢れて出ていて、陳腐な表現だけれど

母の心から血が滲み出ているようにも感じてしまう程。

とにかく当時は、私たち姉妹も大波小波に揺れながら

父の死を受け入れるのに必死だったのですが、より気合を

入れて踏ん張る日々を過ごしていたように思います。

しばらくすると母は、自分自身を立て直すためなのか

突然、それまで絶対行くことはないようなところに

「行きたい」と新聞記事を差し出して来ました。

それを見て私はビックリ。

なぜなら、家で鼻歌歌うことがあっても

カラオケに行った事もない母が

大勢の人と一緒に歌を歌いたいと言ったからだったです。

でも母が前向きになる事はいい事なので

すぐに申込みました。まだ活動を始めて間もなかった

音無美紀子の歌声喫茶 に。

その会は、母にとっては昔懐かしい

歌声喫茶の延長線上の様だったようです。

私はというと、ちょっとくすぐったいような

新鮮な場所でした。

リクエストを紙に書いて渡して音無さんらが選び、

みんなでピアノやアコーディオンに合わせて歌う🎶なんて!!

なんか思いがけない程と言ったら失礼だけど

私はとても楽しかったですキラキラ音符

母はずっと楽しそうに歌っていました。

知っている歌も知らない歌も大きな声で歌っていて

笑顔も弾けてて、来てよかったとこれで母も元気になる

...とホッとした瞬間、私の目から涙がウワーッと

溢れて来て止まらなくなってしまいました。

号泣に近い涙に自分でも戸惑ったのだけど、

母はうなづきながら私に笑顔を向け歌うばかり。

お母さんを励ますために来たのにこれじゃ逆だ汗

と思いつつも嬉しさに気持ちも昂ぶって、更に

もうどうにも止まらなくなっていました。

この時、実は私が大きな声で歌う事で心が楽に...

歌に励まされていたのだ気づきました。

その時に歌った曲が時代だったような記憶があるけれど

家で自分を奮い立たせる為に一人でよく歌っていたから

どこかで記憶のすり替えをしているかも。。。(^^;

けれど自分の中ではこの曲を大声で泣きながらも歌った

という実感があって時代と聞くと今ではその頃を

思い出すようになっています。

歌声喫茶はその後も何回か行きました。

見上げてごらん夜の星をでもホロホロ泣いた事があり

私はかなり怪しいミドルエイジだったかもしれません。

父が亡くなってからしばらく、特にすぐの1年ぐらいは、

ものすごく忙しくて、母の代わりにやらなくてはいけない事を

妹と二人で間違えないように...と自分でも感心するくらい

テンションを上げて頑張っていたせいか今振り返ると

夢の中の出来事のように感じることもあります。

父と別れてから今年の秋で6年目。

気がつくと私は

『時代』と『見上げてごらん夜の星を』

涙なしに歌えるようになっていました音譜

....はずなのに、今日はダメ。涙止まらずですあせる

明日はきっと瞼が腫れて魚の顔になっている。。。

それはいいとして...(^^;;

時代は本当に素晴らしい曲だなぁ...。

ずっと記憶に残る素晴らしい曲ですラブラブ

曲に絡むからアメブロに書き始めたものの

Youtubeにご本人の歌声が聴けるものがなかったので

リンクはナシです。

これはエキサイトの方に書いた方がしっくりくるかもと

思いつつ、そのままこちらにアップしました。


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by madoromi_time | 2017-07-13 19:48 | 備忘録 | Comments(0)

#8 ameba blog Siesta-Siesta から*Der Tod und das Mädchen

これはもう一つのblog Siesta-Siestaにアップした

記事を重複でアップしたものです。


タイトル:Der Tod und das Mädchen
(2017.6.25)


チリの劇作家ドーフマンの戯曲に『死と乙女』という作品があります。

そしてまたシューベルトの楽曲に『死と乙女』という作品もあり、

一般的には、このタイトルを耳にしたらまず、シューベルトの作品が浮かぶかもしれません。

私がこの曲を初めて耳にして心を掴まれたのは、

佐藤正隆事務所が1998年下北沢「劇」小劇場で上演した舞台からです。

友人の一人が出演していたので観に行ったのですが、

心に突き刺さる衝撃的な作品で、その後2003年に地人会の木村光一さん演出の紀伊國屋サザンシアターで上演された舞台で、

更に生涯で忘れられない作品の一つとなりました。


舞台作品はシューベルトの作品をベースにしたものではなく

全く主題は別のところにあります。

ただ作品の中でこの曲はとても非情な形で使われていて重要な意味を持っていました。

とはいえ舞台とこのシューベルトの作品そのものに繋がっていません。


シューベルトの「死と乙女」は、病の床に伏す乙女と死神の対話を描いた作品

とWikipediaにあります。以下はWikipediaからの引用の続きです。

乙女は「死」を拒否し、死神に去ってくれと懇願するが、

死神は、乙女に「私はおまえを苦しめるために来たのではない。

お前に安息を与えに来たのだ」と語りかける。

ここでの「死」は、恐ろしい苦痛ではなく、永遠の安息として描かれている。

ドイツでは、昔から「死は眠りの兄弟である」とよく言われており、

ここでの「死」も一つの永遠の安息として描かれている。Wikipediaより)

6月23日に飛び込んできた小林麻央さんが前夜亡くなったというニュースは、

縁もゆかりもない私だけれど、昨日から涙が溢れ止まらず悲しくて悲しくて、

その衝撃は非常に大きくのしかかっています。


死が安息という事に簡単にうなずく事は出来ないけれど、

私は父が癌との戦いから解放された日にとても悲しかったけれど

「お父さんお疲れ様」と抱きしめた時のように、

辛い病との戦いの日々から解放された麻央さんにたくさんの勇気と愛に感謝と祈りを込めて


Der Tod und das Mädchen《死と乙女》


捧げたいと感じて書き留めさせていただきました。


麻央さん、どうか安らかにお休みください。



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by madoromi_time | 2017-06-25 00:49 | 備忘録 | Comments(0)

#3: ameba blog Siesta-Siestaから*Smetana - Moldau

これは私のもう一つのblog Siesta-Siestaの記事を

重複でアップしたものです。


タイトル:*Smetana - Moldau

私たちの五感...特に嗅覚と聴覚は、時として特別な経験や体験の記憶をググッと遡らせていく事がありますよねハート

こちらにリンクしたスメタナのモルダウは、私にとってそんな作品となります。というわけで聴覚からの記憶のお話をひとつ音譜

私の父はクラシック音楽が好きでした。中でもこの作品は大好きだったようで、

この曲が流れるといつも父が目を閉じて小さく手元で指揮をとっている姿が蘇ってきます。

それは多分他の曲でもやっていたとは思うのですが、なぜかそうした父の姿が浮かぶのはこの曲です。

おととい6日は亡くなった父の誕生日でした。

当日は少々センチではありますが、久しぶりにスメタナのモルダウを聴き懐かしい父を思ったりしてました。

シュンとした気持ちではなくフフッと笑える記憶の映像が一緒に登場するからです。

それは半世紀ぐらい前の記憶(年齢がバレバレですが

私は4歳ぐらいまで豚小屋!?などもあり、交通量も全くもって少なかった頃の池尻大橋の都営団地に住んでいたのですが、

その頃父は私の手を引き「行くぞ矢印」と車があまり走っていない246号の横断歩道がない場所を走って渡ることがよくありました。

父の大きな手TEの感触と、その時まだ小さな妹を連れた母の「危ないからやめて!」と叫ぶ声と「大丈夫OKという父と、

そして私は母の声を背にワクワクしながら走り渡った時の気持ちがクッキリ蘇るのです。のどかな時代ハート懐かしいですハート

けど....年齢を重ねると昔の記憶の方が鮮明になるというけれど、これはその症状なのでしょうか苦笑あせる

なんだかとても個人的な事からのお話になってしまいましたが、でも今日のリンクはそんな懐かしき父を思う一曲です。

音譜Smetana - Moldau『我が祖国』 より

こちらのカラヤン指揮のコンサートホールでの演奏会はPCでは見られるのに、

スマホだと開かず別の楽曲に飛ぶ事もあるのでその場合は

音符上のカラヤン指揮の映像が開かない時はコチラを

東京は梅雨入りしましたかさ。

これからジメジメした季節になりますが、

雨降りの日が多いのは嫌だけれど、様々な色が街を彩る紫陽花の季節でもあるので、

雨が嫌だわと出不精にならず散歩道を楽しもうと思いますラブラブ


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by madoromi_time | 2017-06-08 01:14 | 備忘録 | Comments(0)

14時46分

今日は天気がとてもよ空も青く、雲も優しく浮かんでいる。
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2011年の今日は...と思い出そうとしている自分に「あれ?」という声が思わず出る。
あの日の空の記憶はくっきり覚えていたはずなのに、浮かぶ空は、雲は、風は、空気は...
どんよりした空で重かった...ハズ、冷たい風で寒かった...ハズ...と記憶がぼんやりしている。
まだ6年しか経っていないのに。
地震の後しばらくは、家族や友達と天気の事、雲の形について「こんなだったね」と話したのに。
記憶が徐々に薄れている事に驚く。

今14時を過ぎた。ちょうど2011年の今日のこの時間は同じ街に住む妹と
普段と変わらない夕ご飯の買い物をしていた。
そして地震があった14時46分は「また明日」と妹とと別れて、
家まではもう1,2分で着くという道。
最初私は地震というよりも
ひどい貧血に襲われているようなめまいに
合っているような感覚で電信柱を頼りに体を支えていた。
すると近くで工事をしている男性に「地震だよ!」と言われて、ハッとなった。

言われて我にかえると、家がシャンシャンと音を立てて揺れていた。
古い家もある住宅街ゆえに、古い民家の屋根から瓦が落ちてきたり、
ガラス窓もビリビリと音を立てていて、尋常じゃない地震。

揺れが一旦おさまったので、急いで家に荷物を持って家に帰った。
棚からいくつかの本が落ちていたが大きな損傷はない。けれど猫たちは
あまりのことにチャコは毛を逆立て怯え家の片隅で目を向いたまま動かず
ミックはずっとその怯えを声にして私にべったり離れなかった。

以来しばらくは地震が起きるとミックもチャコも体を強張らせて情緒不安定になり
チャコは地震や他にも何か不安と感じるとお腹の毛をムシるようになり大変だった。
けれど徐々に地震にも慣れてきたせいか、ここ1,2年は少しの揺れだと気にも留めない。
チャコは性格的にビビリだけれど、お腹の毛をムシることはなくなりホッとしている。

今日はとても穏やかな天気。彼らはただ平和におっとりお昼寝をしている。
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災害の記憶は決して忘れてはいけないと多くの人は心していると思う。
私も決して忘れていないと思っているけれど、6年前の今日の空の色、記憶が
ぼやけている事は、ショックだ。

私たち人間は、忘れたい、忘れなくていけない記憶もあるけれど
人間だからこそ、忘れてはいけない記憶もあると、改めて思う。
間もなくその時がやってくる。あの日奪われた生きとし生けるたくさんの命、
どうか安らかにと願うばかりだ。


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by madoromi_time | 2017-03-11 14:26 | 備忘録 | Comments(0)

思いがけないこと

あけましておめでとうございます。
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昨日は割と暖かい一日で、とても気持ち良く親戚の家で楽しい時間を過ごした。
大勢での食事は食も進むというのは本当でガッツリお腹いっぱい。
「あー楽しかった!」と一緒に義母と叔母の家までタクシーで向かい
さぁ着いた!というその時に、思いがけず私は頭頂部を深くパックリ切って
救急車で運ばれ3針縫う事態に陥ってしまった007.gif

理由としては、タクシーのトランクの角に頭部が当たったたため...。
なぜこいういうことに...ということは、とりあえずここでは控えますが、
とにかくまさかの事態で、今頭部の髪の毛は剃られてまたちょっとグロテスク。
とても痛い、でも年賀状のお返事書かなきゃとか主婦としてやらねばが
あり朝からなんだかんだと動いている。

今、年賀状を書き終えホッとしている、、、、けれど一息ついてみると
昨日の今日だからやっぱり痛い。。。。
横になればいいのだけれど、この痛みと経験、備忘録で残そうと
馬鹿みたいにブログを書いている。

なぜなら今回ある部分で面白いと思うことがあったのだ。

その一つは頭に麻酔を打つにあたっては、完全に痛みを麻痺させられないということ。
そしてそのことにより私の心がどう動いたかということ。

麻酔の注射はどんな場合もそうであるように、かなり痛かった。
でもすぐに傷の痛みからはだいぶ解放された。
とはいえ、そこそこズキズキジンジンと脈打っていて
縫う時の針がズブッと入り糸が通っていくようなものや糸をぐいっと
引く感覚はビンビン伝わってくる。
映画の「My Life as a dog」を思い浮かべなら「あれよりはいい」
「これよりはいい」と自分に呪文をかけるようにしていた。
でも呪文の効果がなくて思わず「い、痛い。。。!!!」と声が出てしまう。
先生は結構クールなイケメンで
「頭だから、ダメなんだよ。麻酔はここまで」となんて言われると
「ヨシ!我慢だ!」といやらしくもちゃんといい子になれる私がいた。
そう、とにかく耐えるしかないのねとグググ...と堪えているつもりが
知らないうちに逃げてたらしい私に今度は
「お母さん、ダメだよ逃げちゃ」と何度も声をかけられた。
「え?お母さんって????何?年齢のせい?そりゃ50代だけど...」とか「老けている?」とか
「次にお母さんと言われたら子供いないんですけど」って言おうかなとか
変なことに意識が行く自分がいてどこかで他人事のような不思議な状態になってた。

そしてとにかく耐えなきゃ!と気合のスイッチが入ったのが
「動くと傷跡が汚くなっちゃうよ。」だった。
髪の毛で見えない場所になるのに、「綺麗に仕上げてもらわないと困る!」が
私の心を強くしたのだ。なんか随分変な部分にこだわるのだなと我ながら可笑しかった。

人間は、自分自身のことをこういう場面で思いがけない自分をみるのだなと
今も痛くて仕方ないけれど、このブログを書いていること事態も変だと思いつつ
こんな自分を備忘録に残しておきたくなった。
頭がくらくらする中で書いたから、変なところもあると思うけれど
これも私の一つの姿なのだ。

この1年の厄を早くもこれで落としたと思い、これからベッドに入ろうと思う。

人間観察って自分自身でしても面白ものという発見の2017年幕開け。

この後の1年良い年になりますように❤️





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by madoromi_time | 2017-01-02 15:48 | 備忘録 | Comments(0)

3月11日に思う

昨日3月11日に、加藤健一事務所の芝居を下北沢で観た。

作品は80年代に観客の心を鷲掴みにした『ザ・シェルター』と『寿歌(ほぎうた)』の2本立て。
共に、原子力のあり方を嫌でも考えさせられる作品で、その当時私が若かったせいもあるとは
思うけれど、観た後に客席の椅子から立ち上がれなかった。
静かに迎えるラストシーン、、、目の前に広がる世界は美しい、、、
けれど幕切れの最後の映し出されたそのコトバは、
その美しさと対照的にあまりに悲しくてどうにも動けなかったのだ。
これは私だけの経験ではなくて、当時を振り返り同じ経験をしたという人は結構いると思う。
今回の舞台を観た友人の一人も、昔同じく立ち上がれなかったとメールを送って来た。

この2012年版の舞台は、やはりおかしくて悲しくて切なくてたまらない気持ちいっぱい・・・。
『寿歌(ほぎうた)』は色あせる事のない作品、北村想氏の代表作だと改めて感じる。

終演後、出演者の方々と観客である私達全員で共に昨年の3月11日に亡くなった方々に
黙祷を捧げたのだが、一時的な気持ちだけで終わってはいけないと強く思った。


少し前に、通販生活のCMの放映をテレビ局が断り、少しばかり話題になったけれど、
本当に何故放映しなかったのだろうと、今でも私は不思議に思う。
そのCMは、ただ「原発のありかたを考える特集」がある事をアナウンスしたに過ぎない。
ただ真直ぐに、ストレートに私達に問いかけているだけのものだ。
この先日本はどうあるべきか、ひとりひとり考えてみませんか、、、と。

放送されなかったのは残念だったけれど,結局この「放送拒否」が大きな宣伝効果となり
YouTubeのアクセス数はものすごい数になっていて、このCMを企画、制作した人達に拍手♥〃





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by madoromi_time | 2012-03-12 20:43 | 備忘録 | Comments(0)

私と家族の昨日・今日&明日*Since 2009 *自宅で女性専用完全予約制でフェイシャルエステをやっています。 プロフィール詳細からHPにリンクしていますのでよろしかったらお立ち寄り下さい。


by madoromi_time
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